お疲れ様です。よんです。
2016年、広島東洋カープが遂に優勝しましたね。なんと25年ぶりのリーグ優勝です。25年ですよ25年。
25年前、私はまだ8歳でした。小学生です。カープや野球のことがよく分からなくて、熱狂的なカープファンのじいちゃんとチャンネル争いをしていたそんな時代です。実は今もそんなに詳しいわけではないのですが、周りの熱にあてられて、にわかの私ですら優勝が決まるその日はテレビの中継をかじりつくように見ていました。あの日の広島はとんでもなく熱かったと思います。
私の祖父は2015年に他界したのですが、この優勝を見せてあげたかったな…と、思ってたら今年から私の母がやたらとカープに熱を入れ出しました。今まで全然だったのが今年は球場に10回も足を運ぶほどに。なので多分、守護霊的なものになったんだなと勝手に思っています。きっとビールかけにも参加していたことでしょう(笑)
優勝や今年のカープについては亀のブログのほうでも書かれているのでそちらをご覧下さい。
カープ25年ぶりセリーグ優勝おめでとう!~今年はメモリアル満載のシーズンです~
さて、クライマックスシリーズを制覇し、これからいよいよ日本シリーズです。
(追記)今年(2016年)は負けてしまいましたね。緒方監督をはじめ、カープ選手の皆様お疲れ様でした。来年も燃え上がるような試合、そして次こそは日本一を期待しています!
カープがリーグ優勝したけど実はカープのことあまりよく知らないんだ…という私のような人向けにカープのことについてまとめてみました。私自身、知らないことが多かったのでこれを機に少し勉強してみます。
カープの創設と歴史
カープの創設は今から67年前の1949年、原爆が投下されたのが1945年ですからその4年後ですね。まさに終戦後、復興の象徴としてカープは生まれました。
カープ創設の背景
Wikiからの抜粋になりますが、戦後の野球の隆盛をもとにした正力松太郎のリーグ拡張方針を受け、9月20日、中国新聞社は「広島に広島出身者だけで1チームつくろう」と、原爆による壊滅的被害からの復興を目指したプロ野球球団結成の動きを報じます。広島には当時から野球の名門校も多く、下地もありました。そして中国新聞社東京支社長・河口豪と広島県出身の元内務省官僚・谷川昇が中心となり、広島球団創設の機運が高まります。
河口と谷川を中心に「広島野球倶楽部」を設立、9月28日に球団名を「広島カープ (Hiroshima Carp)」と決定し、日本野球連盟に加盟を申請。発起人代表は谷川昇、築藤鞆一(中国新聞社代表取締役)、伊藤信之(広島電鉄専務)の3名。11月28日に谷川は巨人軍代表と会見し、正式にセ・リーグ参加承認の通知を受けました。そして初代監督に石本秀一を招聘することが決定し、本拠地は広島総合球場としました。
そして1950年1月15日、西練兵場跡(現在は広島県庁一帯)でチーム結成披露式が行われ、ファン約1万人が押し寄せました。
広島カープ球団結成披露式
出典元リンク
これが創立の背景ですね。発起人3名は錚々たるメンバーです。そして親会社を持たない市民球団として結成されたという特異な歴史も持っています。
ちなみに日本のプロ野球が始まったのは1936年、日本職業野球連盟として設立されましたが、この時にはまだカープはなかったんですね。
カープを支えた市民の「たる募金」
1950年からプロ野球に参戦したカープですが、プロの洗礼を受けて結果は最下位。勝率は3割を下回り、失点もダントツでトップでした。当時の球団への報酬は勝敗によって決められていて、入場料の7割を勝利チームに、残りの3割を敗戦チームに分配されていたので、敗戦が多かったカープは給料未払い、大会の遠征費も捻出できないなどの問題も発生して経営難に陥ります。
一時期は大洋との合併が決定しそうになるほどだったとか。
球団の資金難を救うべく、石本監督は広島県庁前で資金集めの後援会構想を発表します。シーズン中も試合の采配は助監督に任せて、自身は球団の苦境を訴えるべく広島県内各地の公民館や学校を回り後援会員を募りました。その結果、セレモニーが開かれ、石本監督が構想したカープ後援会は正式に発足しました。この時、既にカープ後援会は1万3千人の会員数に達していました。
どれだけ頑張ったんですか石本監督…。
その結果、年末までに400万円を集めることに成功。この一件が通称「昭和の樽募金」と呼ばれ、史上最大の集金作戦としてNHKでも取り上げられました。
創設当時の苦労がよく分かりますね…。そして広島の人達がどれだけカープを愛していたかも。カープは広島の誇りだったのでしょう。
後援会が発足し、また、1952年から主催試合(ホームチーム)側に勝敗に関係なく試合収益の6割が入るようになり、安定収入が見込めるようになっていったようです。
ちなみにこの「たる募金」は1960年まで続いたそうです。また、今の新球場「マツダスタジアム」の建設の際にも行われ、1億2,000万円を集めたり、被災地支援のために行われたりしています。
カープの名前の由来とイメージカラー
お恥ずかしい話ですが、カープって英語で「鯉」か!と最近気づいたにわかの私です。何の気なしにカープカープ言ってましたがちゃんと名前の由来もあるんです。
カープの名前の由来ですが、
- 広島市内を流れる太田川の名産が鯉であること
- 当時原爆で焼け落ちてしまっていた広島城は別名「鯉城(りじょう)」と呼ばれていたこと
- 鯉は出世魚であること
- 原爆で焼け野原となった広島が、滝を登る鯉のように復興していくように、との想いを込めた
という理由からカープ(Carp=鯉)になったそうです。
他にもいろいろ候補があったようで、アムズ(原子)、ブラックベア(黒熊)、レインボー(虹)、ピジョン(鳩)、グリーンズ(緑)という候補がありました。候補を見るとやっぱりカープがしっくり来ます。ちなみにグリーンズは「広島グリーンズ」という名称で2軍チームに使われていた時期があったそうです。
また、当初はカープではなく「カープス」だったそうなのですが、Carpは単複同形という指摘を受け「カープ」に改め正式名称としたんだとか。12球団でチーム名が複数形のsのス、ズ、ツで終わらない唯一のチームです。
「広島カープ」から「広島東洋カープ」に
今の名称は広島東洋カープですが、初期の名称には東洋がありませんでした。この東洋はいつ追加されたのでしょうか?皆さんご存知ですか?
東洋が追加されたのは1968年(昭和43年)、広島に本社を構えていた「東洋工業」がメインスポンサーになったからなんです。
実はこの東洋工業、現在カープのメインスポンサーである世界的自動車メーカー「マツダ株式会社」の旧社名なんですね。
この年に東洋工業社長の松田恒次が筆頭株主となりオーナーに就任。息子の松田耕平がオーナー代行に就任して同族経営の私有球団になったようなのですが、球団の経営にはあまり口出しすることなく市民球団としての体裁は保っていたようです。
余談ではありますが、松田恒次が死去してから松田耕平がオーナーに就任されたのですが、野球とカープをこよなく愛した名オーナーだったようです。カープの黄金時代をフロントから支え続けた功労が認められ、死去翌年の2003年に日本のプロ野球などで顕著な活躍をした方に贈られる野球殿堂特別表彰を受けています。Wikiより
当初カープのイメージカラーは赤ではなかった
初代ユニフォーム 出典 carp.nomaki.jp
初代ユニフォーム 出典 carp.nomaki.jp
今でこそカープのイメージカラーは赤色が定着しましたが、創設からしばらくは特に赤を基調としていたわけではありませんでした。右の写真が初代ユニフォームです。見たとおり赤色は胸のロゴに差し色程度です。
本格的に赤が入りだしたのは1975年。初優勝を果たした年ですね。球団初の外国人監督としてジョー・ルーツが就任。
ジョー・ルーツ監督は、前年まで3年連続最下位だったチームの帽子の色を、それまでの紺色から燃える闘志を表す赤色に変えました。広島の代名詞でもある「赤ヘル」の生みの親。でもジョー・ルーツ監督はその年に問題起こして辞任しているんですよね…。
当初はアンダーシャツやストッキングやユニフォームのロゴも赤に変更する予定だったんですが、予算の関係で見送られ、それが実現するのは1977年からとなりました。
こちらのサイトにカープのユニフォームの変遷がまとめられています。こんなに変わっているんですね。歴史を感じます。
広島東洋カープ歴代ユニフォームまとめ
ちなみに今の「赤ヘル」はマツダのアテンザの車体色に合わせられていますね。色の名前が「ソウルレッドプレミアムメタリック」。新開発の塗装技術らしいです。深みがあっていい色ですね。かっこいい…。
赤ヘル黄金時代・カープの優勝記録
カープの優勝履歴は私もよく知らなかったのでここにまとめてみます。
1975年 V1 初のリーグ優勝
「赤ヘル旋風」が巻き起こり、球団創立25年目で初優勝達成。優勝後、平和大通りで行われた優勝パレードではファン約30万人を集めます。この年の観客動員数は120万人、球団史上初めて100万人を突破。また、この年には山陽新幹線が岡山駅から博多駅まで延伸開業、チームの遠征時の列車乗車時間が大幅に短縮され「カープが優勝できたのは新幹線のおかげ」とも語られました。
1979年 V2 初の日本一
悲願の日本一を達成。第7戦では、江夏がノーアウト満塁という絶体絶命の場面を無失点で切り抜け日本一に導きます。「江夏の21球」はNHKでもドキュメンタリーとして特集されるほど伝説の名シーンとなっているようです。以下に当時の日本一が決まる瞬間の動画を貼ってみました。
1980年 V3 2度目の日本一 & 2連覇達成
2位以下に大差をつけて球団初の連覇を達成。
勢いそのままに、近鉄を4勝3敗で下し、日本シリーズ2連覇を成し遂げる。
1984年 V4 3度目の日本一
1986年 V5 5度目のリーグ優勝
1991年 V6 6度目のリーグ優勝
6度のリーグ優勝と3度の日本一に輝いているんですね。初優勝から1990年代後半までが「赤ヘル黄金時代」と呼ばれています。それにしても初優勝するまでに創設から25年もかかっています。長い苦労があっての輝かしい黄金時代だったんですね。
冒頭に祖父のことに少し触れましたが、なんであんなにカープカープって言っていたかというと黄金時代だったというわけです。私が生まれたのが83年なので、その前後は正に黄金時代。納得です。テレビのチャンネル取ってごめんねじいちゃん。でも孫に譲らないってどんだけ好きだったんだ。
2000年あたりからカープは低迷の時代に入ります。6度目の優勝を最後にカープは優勝をしていません。ですが、2013年から連続でクライマックスシリーズに参戦するなど期待が高まります。
そして今年、2016年!
リーグ優勝V7に輝き、カープの歴史が新たに刻まれました!
創設から初優勝を果たした時と同じようにV6から25年の歳月がかかっています…。
もう盛り上がらない訳がないです。若い人たちにとっては初優勝もかくやという前代未聞の出来事です!
そして今年は、なんと41年ぶりに、
初優勝を果たした時と同じように優勝パレードが開かれます!
パレードの詳細はこちらをご覧下さい。
ああ…行きたい…見たい…でも11/5(土)って仕事じゃないですか…。
これって…休んでもいい感じのあれですかね?広島県人としてはこのビッグウェーブに乗らないといけない気がするんです…使命感がですね。ごにょごにょ。
カープ優勝特設ページはこちら
追記
2017年 V8 8度目のリーグ優勝
2018年 V9 9度目のリーグ優勝(球団初リーグ3連覇達成)
2018年にまさかの3連覇!球団史上初!あとは日本一を心して待て!
カープの経営を支える多種多様なカープグッズ
カープといえば12球団中随一のグッズ数を誇ることでも有名ですよね。その数は年々増え続けているようで様々なグッズが販売されています。
ちなみにカープはお金がないというイメージがありましたが、初優勝を果たした1975年から連続で黒字経営を行っているようです。これは今注目されていますね。これって本当にすごいことだと思います。ただ、黒字経営を意識しすぎて選手年俸や関連費用を調整しているらしく、そのせいで長期低迷を招いたとも…。なんともままならない話です。
それはさておき、ここ最近のグッズ販売はカープの収入の大きな柱になっていることは間違いありません。10年ほど前は数億円だったのが、2015年のグッズ収入は35億7,500万円、前年比でプラス10億円。とんでもない数字になっています。そして2016年は優勝…その効果たるやいったいどれほどになるのか。
現在の詳細なグッズ数が残念ながら分かりませんでしたが、年に300点以上追加されているようですね。カープの盛り上がりにあやかろうと企業もこぞってグッズ制作に乗り出しています。
以下は2015年と2016年のグッズカタログになります。Webカタログもあるので内容も見れますよ。
カープ応援オリジナルアクセサリー
安芸ん堂もカープの優勝を記念してオリジナルアクセサリーを制作しました。
残念ながらカープ公認グッズというわけではないのですが、カープを応援したくて作ってしまいました。鮮やかな赤色の折り鶴にボールと今年のテーマになっているとうがらしが付いてます。限定25個のお値段2,500円。だいぶ売れたので残り少なくなっています。
こちらから購入できますのでご興味のある方はどうぞ!
※こちらの商品の販売は終了しました。
2017年バージョンがこちらからご購入いただけます!
安芸ん堂はカープを応援しています!
調べているとカープの様々なドラマがありました。カープのことが少し分かって、カープのことが好きになりました。熱狂的なファンの方々と比べるとまだまだだと思いますが、今回の優勝を機にカープのことについて知るきっかけができてよかったと思います。これからも地元広島を熱くしてくれる存在であって下さい。応援しています。
最後にもう一度!カープ優勝おめでとう!!!
おまけ
長々と書いてきましたが、長くて分かりにくいかもしれません。そこでカープについて面白いマンガがあるのでご紹介します。
中沢 啓治 DINO BOX 2014-03-01
「はだしのゲン」の著者、中沢啓治さんが描かれた「広島カープ誕生物語」というマンガです。カープ設立前夜から1975年の初優勝までの話なのですが、当時のことがよく分かる1冊になっています。かなり忠実に描かれているようなので当時のことをよく知りたい方にお勧めの1冊です。ぜひ読んでみて下さい。